[感想]「死にゆく者からの言葉」鈴木秀子著 - 読書の花道。

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きっかけ
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鏡の法則、3つの真実の著者で有名な野口嘉則さんのメルマガを読みました。

そのメルマガの内容はこちら

こちらのメルマガで次のような事を知りました。

・坂本龍馬は享年 32歳。
・死と触れ合う事



ちなみにろぐすけは最近33歳になりました。

坂本龍馬の声が聞こえてきそうです。
「おうぃ!ろぐすけどーん!
もっとがんばらないかんちきー!」


明治維新という大きな時代の変化に生きた人たちは、若くして亡くなっているんだという事を知りました。

次に、死とのふれあいについて。

現代人は人の死に触れ合うことも、リアルに意識することもありません。

昔は、おじいちゃん、おばあちゃんとか家で家族に看取られて亡くなる事が多かったため人の死にふれあうことがありました。

ですが、今は病院でお医者さんや看護婦さんに看取られる事が殆です。


なぜ死を意識しないといけないのかというと、精一杯生きるためです。

メルマガでは最後以下のような言葉で締めくくられていました。

僕たち人間も、悔いのない人生を生きるためには、今この瞬間を、今日という一日を、精一杯生きるということに尽きるのではないでしょうか。

そのためにも、まず一度、後悔してみられることをお奨めします。
次のことを想像してみてください。
「もしも、いま死んでしまったら、何を後悔するだろうか?」
そして、本気で後悔してみてください。
その 後悔 をしっかり味わい、
「二度とこんな後悔はしない」
と心に決めるのです。



死、なんて正直向き合いたくないけど、でもメルマガの内容に共感出来たので、僕も死について考えてみたいと思いました。

そして、こちらのメルマガで紹介されていた本がこちらなのです。

死にゆく者からの言葉 (文春文庫)死にゆく者からの言葉 (文春文庫)
(1996/10)
鈴木 秀子

商品詳細を見る

本の紹介
 ̄ ̄ ̄ ̄

人は死ぬ時、それまで話せなかったことを話したくなるそうです。

家族や友人への感謝や、これまで言えなかった事、謝りたいこと。

これは、死ぬゆく人が死を受け入れたときに思うのだそうです。

ですが、彼らの近しい人は、まだ生きて欲しいと思っています。

そのため、死を受け入れた人とそうじゃない人の間にギャップができるため、なかなか話しにくいそうです。

まれに家族が死の事実を受け止め心の準備ができている場合があるそうです。

そうしたとき、相互の感情を伝え合うすばらしい雰囲気を生むそうです。

ですが、これは家族にとってとても辛くて大変なことなのだそうです。

また、病人側も家族を悲しませたくないという強い思いがあるそうです。

したがって、彼ら死にゆく人が求めるのは、自分の心を安心して打ち明けられる家族以外の人で、何を話しても動揺しない、自分の気持をあるがままに受け入れてくれる人なのだそうです。

こちらの本では、こうした死にゆく人の最後の言葉を集めた内容になっていました。

実際に「死」ぬ瞬間の事については書かれていませんので、心苦しい、といった
感じではなく、いつまでも覚えておきたい!と感じるような内容になっています。

最後の父からの4枚の手紙は大感動スペシャルとなっています。


読む前と読んだ後の感想
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読んだあと、命の尊さに触れた気がしました。

特に母親の強さや父親の優しさなど、なりたい姿がそこにあります。

こんな親になりたいと強く思いました。

では、どうやったらなれるかというと、不明です。

不明ですが、一つ言えるとしたら「愛」ですよ「愛」。

愛は伝播し感染します。

まずは家族の中を愛で埋め尽くしたいと思いました。

理想論ですけどね。

ただ、これは一番簡単な方法で、自分の中の二者択一から陽転の方を選べばいいだけです。
★陽転思考についてはこちら

といろいろ述べましたが、今を変えられない者が将来を変えられるはずもなく、今日もまたワンピース読んで寝るんですけどね。

ふぅむ。

覚えておきたいこと
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<死にゆく人が思うこと>

「私はなんにもの死んで行く人たちのそばに付き添ってきました。殆どの人が自分に死が近づいていることを知っています。その人たちは、死を前にして話したいことをいっぱい抱えているのです。
つい15年ほど前まで,私たちは病人と話す際に、死については一切触れず、回復することだけに焦点を当てて励ましてきました。気持ちを軽くすることだけに気を配ってきたのです。しかし今は、病人に対し、全く違う接し方をしています。死を身近に感じている病人が、今ここで何を考え、どんな気持ちを味わい、道いったことを望んでいるのか、まずそこに中心をおいて接するようになったのです。」



これが、ニューヨーク大学医学部の教授であるメリーの言葉です。

死にゆく人は、死を受け入れたときいっぱい話したいことがあるそうです。
中でも多くの人は、自分にとって家族がいかに大切であったかを思い、辛く寂しい別れを味わっているのですって。

今の自分を理解してもらいたいと強く願うのだけど、それを届ける事が出来ない、というジレンマを感じているそうです。

一番良いのは家族が理解することです。

でもそれは、想像もつかないほどつらい事でしょう。

だって、「死」を受け入れる事ですから。

この壁を乗り越えたとき、すばらしい関係が作れるのだとしたら、行ってみたい気がします。

でも願わくば、まだまだ先でありますように。

<体のなかは洞窟>

「命の大切さ」という講習に場違いな人が紛れ込みました。
その人は、隣のホールで毛皮を売っているセールスレディです。
入り口の人に「ささ、どうぞ!」と言われて話を聴くことになりました。

最初は、機を見て撤収しようと思っていたそうですが、内容の素晴らしさに聞き入ってしまい、最後には涙したそうです。

そのセールスレディさんが、講習で見知らぬ人に向けて、自分のことを告白しました。

このセールスレディさんの体の仲は洞窟なのだそうです。

実は、彼女はこれまで8回ものガンの大手術をしました。

医者もなぜこのような体で生きてるのか不思議なくらいとう事らしいです。

ですが、なぜ今こうして元気で生きていられるのか?を聞いたところ、彼女には精神薄弱の息子がいるからなのだそうです。

毎日帰って息子の顔を見るだけで、幸せになるとありました。

だから私はがんばれる。

「絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、私は『生きる』と決めたんです。子どもが生きている限り、私は生きるんだって。これが、病気になっても、病気と関係なく生き続けられる原因なんです」


言葉もありません。

強烈な信念と覚悟です。

もし息子の身代わりになれるとしたら、ノータイムで決断し喜んですべてを捧げられるのでしょう。

人として尊敬できます。

おそらく、同じ講習の場で聞いていたら、号泣したでしょう。

彼女こそ、母親の理想像です。

<あの子はわが家の宝物>

ある家では5人の子どもがいるものの5番目の息子は身体障害者でした。

しかも知能の遅れもともなっているそうです。

世間的に見ればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、真一くんというその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり
「今日ね、こんな良い話があったんだよ」
と報告するのを日課としていたのでした。
(中略)

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、まるで花を摘むように良い話を探さずに入られないのです。

そうすると嫌なことに気を取られなくなり、長年の内にそれぞれが、日常の平凡なことの中から、毎日毎日宝物を探すように良い話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中からいいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子は我が家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。



心温まります。

「みんなが幸せに生きる」という事が人の目的であるなら、間違いなく目的を果たしていますね。

逆に、その目的を達成するための手段に注力している人はいつまでたっても目的を果たせないような気がします。

ろぐすけのなかの人生のテーマは、「だらけきった幸せ」です。

平凡ボンボン、マイペースな幸せを求めます。

ですが、現状は厳しいもので達成するための手段を間違えたかなと後悔しているほどです。

ろぐすけが選んだ手段は、常にストレスで満ち溢れさせてくれます。

目的と手段を履き違えている、良い例ですね。


<奇跡の背中>

2月22日の未明、バングラディッシュの沖合いを走っていた韓国船の甲板から、一人の青年が、大波にさらわれ海に投げ出されてしまったのです。
しかし未明とあって、彼以外の船員たちはまだ眠っており、誰一人その出来事に気づきませんでした。船は遠ざかっていってしまいました。
青年はまだ夜が明けきらぬ真っ暗な大洋のまんなかに、ひとり置き去りにされて漂流し続けました。
ついに力尽き、あわや溺れかけようとした、まさにその時、スーっと身体が水面から浮き上がった気がしたのです。
気がついてみると青年は大きな亀の背に乗っていました。
その亀は界面に甲羅を出し、青年を乗せたまま一度も沈むこと無く、それから六時間、漂流し続けたのです。

一報、韓国船では朝の点呼が行われ、その時に鳴って初めて船員の一人が行方不明となったことにきづきました。
慌てて元の位置へと引き返し捜索に当たりました。陽も高くなった頃、ようやく亀の瀬に乗った青年が発見され大網によって亀もろとも無事、引き揚げられたのです。
船は、それから近くのベンガル湾に寄り、亀にたくさんの肉と酒とバナナを与え海に戻したのでした。



本当に、こんな軌跡があるのでしょうか。

びっくりです。

亀さんは、人間が水の中で呼吸できない事、長時間泳げない事を知っているのでしょうか。

まさに奇跡です。
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