[秀才 ★★★★☆]ドラッカー日本への言葉(望月護著) - 読書の花道。

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ドラッカー 日本への言葉ドラッカー 日本への言葉
(2010/09/11)
望月護

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 いや、これ、ドラッカー本じゃないですぅ。

 明治の経営者(福沢諭吉、松下幸之助、渋沢栄一、岩崎弥太郎)が主人公の本ですぅ。

 びっくりしたぜ。

 なんせ、ドラッカー本だと思って読んだわけですから。

 期待はずれもいいところだ。まったくくけしからん。

 こんな本。

 読む気もなくポイポイだぜ。

 、、、、



意外と面白い!

 何が面白いかと問われれば。

 僕はこう答える。

■ドラッカーに大きな影響を与えた人物三人が一人である渋沢栄一って人△。日本の株式会社の生みの親(海援隊が最初の株式会社と思ってた)でもある。

■今までただの一万円札の人だと思ってた福沢諭吉が経済肌を持ってて、お金にしっかりした考えを持っているってこと。

■三菱の創業者が、坂本龍馬の子分(?)である岩崎弥太郎だったという事実。

■松下幸之助が豪傑であったと言う事


 まさか、ドラッカー本から明治の偉人の話が出てくるとはおもいませんでした。しかし、そのおかげで昔の日本も捨てたもんじゃないぜ、という事が分かりました。いやはや。

ドラッカーが明治維新を評価する「3つの理由」


その1

およそ300年間も続いた(江戸時代)体制を、ほとんど血を流す事無く破壊したこと。


 ヨーロッパでは体制が転換するとき革命が起き、たくさんの血が流れるそうです。それが明治維新ではほとんどなかった。これが凄いと言ってます。

その2

無理なく西洋から文化や制度を取り入れたこと。


 ドラッカー曰く日本の持っている強みは「外国から入ってきたものを吸収して、日本古来のものとどうかする能力を持っていること」なのだそうです。例えば6世紀に仏教が入って来たときはわずか5年でこれを受け入れたそうです。
 また、第二次大戦後も民主主義というまったく新しい概念を日本独自の伝統的価値観と破綻させること無く受け入れました。
 これぞ「外国のものと日本的なものを混乱させずに同化する能力」と言えるそうな。

その3

当時の世界において、先進国入りした唯一の非白人国家であるということ。


 もし日本が欧米諸国と肩を並べる先進国になっていなかったら、世界は白人が支配し、白人主導になってたかもしれないそうです。

 これを強烈に示すこんなエピソードがあります。1957年5月、当時の首相、岸信介がインドを訪問しました。この時インド首相のネールが空港に出迎えたそうです。岸と共に車に乗り込んだネールは街角へ来ると、車を止めさせて群衆にこう演説しました。

「わがインドの皆さん、あなたたちはご存じないかもしれないが、東洋には日本という国があります。インドは白人に長く支配されましたが、明治時代に、東洋の小さな島国である日本は、ヨーロッパの大国ロシアを打ち負かしたのです。
 そこで、アジアの人間は、その気になれば白人に勝つことが出来ると気がついたのです。西洋人が東洋人を見下すという民族の優劣をなくすために、私が生涯をかける道を選んだのは、日本人が白人を負かしたおかげです。
 私の隣にいるこの方が、日本の首相です。」



 日本の若者は知らなくても、アジアの主導者で、日露戦争における日本の驚異的勝利を知らない人間はいないそうです。

渋沢栄一という人


 渋沢栄一はフランスで会社という仕組みを知る。大きな事業を興すためには会社が必要だが、その会社に大きな仕事をさせるためには、みんなからカネを集めて会社に貸す「商業銀行」という仕組みが必要であることを教えられた。

 渋沢はこの「会社の仕組み」を日本にも取り入れねばと91年頑張る。関わった会社は500社以上。その中には、「みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行、東京電力、東京ガス、王子製紙、東京海上火災、東洋紡、清水建設、キリンビール、アサヒビール、サッポロビール、帝国ホテル、東京証券取引所、日本赤十字社、日本女子大学」など超有名企業ばかり。

 渋沢は1900年に大蔵大臣入りを進められたそうです。しかし頑としてこれを拒絶しました。この時言った言葉がこれです。

「役人は凡庸な人間でも務まるが、企業人は才覚がなければ務まらない。士農工商の名残で今なお役人が偉くて民間人はえらく無いという考え方がある。だがそれは誤った考え方である。それを一掃するためにも、自分は企業人の力を養うべく障害を尽くす」



岩崎弥太郎という人


 三井・住友という両雄に挑んだ男、それが三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎です。

 まず第一の運気として汽船が弥太郎の持ち物になりました。ここから海運業に乗り出します。

 次に訪れた運気は、台湾出兵問題です。この時の台湾出兵に絡む海上輸送を殆んど三菱商会(弥太郎の当時の会社名)で独占するという離れ業をやってのけました。

 そして最大のチャンスが西南戦争です。西郷隆盛ドンが率いる九州の反乱軍と政府との戦いでは、その主戦場は九州になります。そこで政府は全国の兵力をまず大阪に集め、そこから船で九州に行きましょうということにしました。ここでもやはり三菱商会が登場し、運送を独占しました。その時に受け取った運賃が現在で言うところの約3000億円。びっくり仰天ですね。

 しかしこの岩崎弥太郎という人、かなりワンマン社長だったそうです。まぁ、当時の資本主義は西欧でも独裁が当たり前だったそうなので悪いことではないですが。

 海上運送を独占した三菱商会は賃金の値上げを敢行しました。その額はべらぼうで、2万円のお米を運ぶのに運賃で8000円~12000円も請求されたとか。ひどいぜ弥太郎。これに一番困ったのが海外と貿易している三井物産。そこで、弥太郎に値下げをお願いしました。しかしまったく応じてくれず。頭に来た三井物産は、自分で海運会社を設立しました。この会社に大きく協力したのが我らが渋沢栄一です。色んな運輸会社を合併し巨大運輸会社にまで発展しました。

 ここに三菱vs三井の大戦争が勃発するのです。値下げ合戦とい名の。すさまじいあた回だったらしく、政治家や役人までも巻き込まれました。そこで、辟易した政府が間に入り三菱と三井を合併させ「日本郵船会社」という会社が設立しました。この会社が日本初の株式会社と言われるそうです。

福沢諭吉という人


 超合理的な考えの持ち主です。
 当時、神様や仏様は今以上に崇められていたと思います。しかし諭吉少年にはそんな事関係ありません。だれもいないときに、神様の名の書いてあるお札を踏んでみたが、何も起きなかったそうな。次に、便所の紙としても使ったがやっぱり何も起きない。そこで思ったのが「神様や仏様が助けてくださる」わけがない、という事です。

 議論をする場合は、ものごとの根底にさかのぼって考えることが大事だ、とは福沢諭吉の考え方です。そのため、自分の目でアメリカやヨーロッパを感じ、欧米の事情を把握した上で西洋と東洋の文明を比較することが大事とありました。しかし当時の日本は現実社会とかけ離れた空理空論を学んで育った人ばかりです。この石頭を欧米人と互角に渡り合える合理的な頭に切り替えることに障害を捧げようと思った。これが慶応義塾大学に繋がっているのですね。

 「一人では賢人、集団では愚者」

 これは福沢諭吉が思う日本人観です。言い得て妙だなと思いました。

「たとえばひとりひとりの役人を見れば、心の広い立派な人も多い。だが、政府に集まって仕事をすると、とたんに人格が一変してしまう。日本人は一人の時は賢人だが、集団になると愚者になる。集団に鳴ると個性を発揮することが出来なくなるのは、日本人が外に目を向けず、事なかれ主義に陥るかだら」


 ちなみにこの福沢諭吉は大のお金好きです。子供の頃兄に将来の事を聞かれこう答えました。

「そうさな、思う存分、カネを儲けて使ってみたい」

 当時から資本主義だったようです。カネを原動力に動けばイイじゃない。ただし、おカネに振り回されてはいけない、という考えも持っているようです。

松下幸之助という人


 松下幸之助の時代は、今では信じられないけども「利益を追求することが正しい」と主張することは命がけだったのだそうです。企業や経営者は労働者から搾取しまくってけしからん、という事なのでしょう。共産主義の考えです。

 そんな中、松下幸之助は、「民間企業が利益を追求して資本を蓄積し、投資することは正しい行為である」と堂々と説いていたそうな。

 松下幸之助の考え方は「商品の価格はお客が決めるモノ」でした。決してコストの合計が価格ではないという事です。「お客がおカネを払って買ってくれる金額が、価格」なのだそうです。スバラシイ。

 さらに松下幸之助は言います。「商売で一人占めほど危険なものはない」と。一人占めとは独占の事ですね。この独占は油断を生み、第二の勢力にかっさられるとありました。CPUの世界市場の90%を握ってるインテルは開発部門を二箇所に分けているそうです。二年ごとに交互に商品を開発させて競合を促すために。こうすることで競争させているのですね。

 そして松下幸之助。1925年日本でラジオが始まりました。大量に開発する必要があるんだけども、設計段階で発明家・安藤博の持つ特許に悩まされます。特許の使用が許されなければ、よりよい性能のラジオを作れないからです。他のメーカーも困ってました。

 そこで松下幸之助はこの特許を買い取りました。二万五千円で。現在で言うと二億五千万円です。これで松下は自由に設計できるので他社を出し抜き、瞬く間にトップシェアに躍り出れると思いきや、なんと松下幸之助はこの特許を業界に無償で提供するという行動に出たのです!!技術を秘密にするよりも、事業を伸ばすことを考えるべきだとの思いからですって。

 故障の少ないラジオをつくれば、修理技術のない一般の電器店でも売ることができます。松下は大量生産によってコストを下げ、性能のよいラジオ専門店と一般の電器店両方で売りました。製造開始から四年目には業界トップになったそうな。もちろん、その地位に到るまで、ライバルとの切磋琢磨が会ったことは言うまでもなし。

 昭和四十年代、松下グループはVSHビデオを開発し、やはり技術を公開しました。この時ソニーは技術的に優れたベータマックスを開発したけども、技術は公開しませんでした。その後、VHSビデオが世界標準規格となったことはみんなが知ってる。

★★★
 この本で、福沢諭吉と渋沢栄一、松下幸之助に大変興味を持ちました。ドラッカーの本じゃなかったけど、結果的に大満足です!

 手始めに、どの本屋に言っても必ずと云っていいほど置いてある松下幸之助から攻めて見たいと思いました。

それでは、また。
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